
歴史の中で青森県域が明確に中央政権に組み込まれるようになったのは
鎌倉時代初頭であると考えられています。
平安時代末期に奥州藤原氏を倒した源頼朝によって南部氏が糠部五郡を与えられたとの記述があり、
鎌倉幕府の影響に入ったことはその部分からうかがい知ることが出来ます。
鎌倉時代から室町時代中期にかけて、津軽安藤氏が下北半島や津軽半島、さらに蝦夷島の沿岸部を支配し、
海上交易で栄えました。
しかし、津軽安藤氏は鎌倉時代末期に内訌を起こし勢力を後退、さらには南北朝時代に南部氏と対立し、
情勢は南部氏有利に進み、安藤氏は蝦夷が島に駆逐されました。
その影響から、安藤氏によって繁栄した各港は衰退してしまいました。
15世紀半ばに南部氏は大きく勢力を拡大、16世紀半ばには津軽、下北、
糠部地方一帯の広い領土を支配しました。
しかし16世紀後半になると南部氏の一族の大浦為信が他の南部氏の諸城を落城させ、津軽地方、外ヶ浜、
糠部の一部を支配しました。
南部氏は青森県東部が所領として残りました。