
江戸時代には主に盛岡藩8万石と弘前藩4万5千石が現在の県域にあたる地域を支配しました。
また、盛岡藩の支藩として八戸藩2万石、七戸藩1万石そして弘前藩の支藩として黒石藩1万石があり、
いずれの藩においても最北の地にあるため飢饉の際に大きな被害を受けたが、
下北地方では餓死者がほとんど出ませんでした。
江戸時代においても青函海峡沿いにアイヌ人がいたと伝えられています。
戊辰戦争時、弘前藩も盛岡藩も当初奥羽列藩同盟に属していましたが、途中で弘前藩は官軍に寝返りました。
戦後、盛岡藩は大幅に石高を減らされ、その跡に斗南藩が置かれ、もと会津藩の松平家が3万石で入りました。
その後の歴史として、1871年7月には廃藩置県が行われ、現在の青森県域には旧藩を引き継いだ弘前県、
黒石県、斗南県、七戸県、八戸県が成立しました。
1871年9月に弘前県、黒石県、斗南県、七戸県、八戸県、館県の合併により、弘前県が成立しますが、
その直後、県庁が弘前から青森に移ったことで青森県と改称されました。